今日は1月5日、イチゴの日です。

女川さいがいFMのスタジオに「16歳の語り部」が出版されますよっていうチラシが置いてあったんです。そこに3人の学生(震災当時は小学5年生)の言っていることが軽く書いてあったんですけど、そのうちの1人が「不謹慎だけど、内心ワクワクしていた」って言ってるんです。私はその発言に引っかかるものがあって考えたんです。それは否定の意味ではなく、私もそうだったかもしれないという意味で。私は震災当時小学6年生。先生方への感謝の会を開いてるときに大きい地震がきたんですよ。家族とはすぐに合流できました。その後、津波が来るみたいな不確かで聞き慣れない情報が飛び交って、いつの間にか周りは水で満ちていたような気がする。冠水程度の。その夜は通っていた小学校の体育館で過ごしました。余震は続いたけど、「さむいなぁ、おなか減ったなぁ」くらいしか考えてなかったと思います。朝になって、近くの親戚の家に居させてもらったんですが、こっちに帰省してきたいとこ2人とそのお母さんもそこにはいました。いとこのうち1人は亡くなってました。3、4歳くらいだった気がする。亡くなった経緯も聞きました。だけど、大きい地震津波が起こったあの日に、いとこが亡くなったっていうのは私の頭の中で繋がらないんです。家族を失った人の話もたくさん聞いたし、テレビで流れるその時の映像も、嫌でも目に入ってきました。それなのに、繋がらない。家族を失った人の気持ちにもなれない。それはどうしてかな?と考えたときに思ったのは「さむいなぁ、おなか減ったなぁ」くらいにしか考えてなかったからなんじゃないかなって。そこからどう感情を引っ張り出そうとしても、薄っぺらいのしか出てこないんです。私は《その時》に津波を見ていない。津波によって今まで当たり前だった生活が無くなった事が分かっても、たくさんの人が命を落としたって事には結び付けられない。津波を見ていないだけで、人の気持ちを考えられないのはとても辛い事だと思いました。